分配の哲学(2017_1月号)

柴田先生201612
分配の哲学(2017_1月号)

賞与や昇給の時期になると、どう分配するか頭を悩ます経営者の方も多い。分配をするにはその背景となる分配の哲学を持っていないと判断の軸がぶれてしまうことになる。そこで「分配の哲学」について考察してみた。

「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」というのはマルクスの分配の哲学だが、マルクスが理想とした共産主義国家は世界のどこにも存在しない。大半の人が利己心を克服できず、官僚主義がはびこり能力以下の仕事しかせず、必要以上に取ってしまうからだ。

鄧小平は「白いネコでも黒いネコでも、ネズミを捕るネコはいいネコだ」といい、「先に豊かになれる者から豊かになれ。そして落伍したものを助けよ」と「先富論」を唱えて今日の中国の繁栄をもたらした。だが、後段の「落伍したものを助けよ」はすっかり忘れ去られ、社会主義国家である中国の貧富の差は広がるばかりだ。
終身雇用制や年功序列賃金制度が公務員だけでなく大企業にも導入されていたころの1970年代からバブル期にかけての日本では、国民の大多数が自分を「中流階級」だという意識をもち「一億総中流」といわれていた。その時代は、若者が相対的に低賃金で働き、子どもの学費や住宅ローンの返済が必要な中高年者は相対的に高額な給料を受け取れる仕組みであった。この制度はマルクスの哲学に近似していて、日本は世界で唯一成功した社会主義国家であるといわれた所以である。

しかし、日本ではバブル崩壊以降の厳しい経済状況の中で企業は従業員の面倒を定年まで見ることが出来なくなる。同時に、転職する人が増え、派遣社員といった新しい就業スタイルも生まれて人事制度の見直しが必要となり、成果主義が導入されることになった。

自由主義経済の下では「結果の平等ではなく、機会の平等」を標榜しており、成果主義は労働の対価として経済合理性がある。その結果、保険会社や投資会社の様に社長より社員のほうが給料が多いという業種が出現することにもなる。しかし、次第に「成果」とは何かに客観性が無い、社員全体がライバルとなり社内のつながりが希薄化する、短期的な成果をもとめ挑戦しない企業風土になる等の成果主義による弊害が多く現れ、現在ではほとんどの会社で成果主義の運用を停止したり、軌道修正をしている。

結局、経営者は分配の哲学をマルクス主義の社会性と自由主義の活力との双方を取り込み、その狭間をその時々の経済状況や人口動態をにらみながら重点を移していくしかないのだろう。それでは何を基にして成果を分配すればいいのだろうか。次月のあさひ通信では分配の機能を現実的に担う人事制度について考えてみたい。