田 分 け(2024年_6月号)

英国で研究生活をしてきた大学のゼミの恩師がこんな話をしてくれたことがある。「宿舎の近くの公園に芝生の広場ができ、“入るべからず”の看板が立てられたのだが、人々が反対側の出口へ向かうためにその芝生の広場を横切っていくので芝生に足跡が残るようになった」「そうしたら役所が工事をはじめたので人々が通れないように垣根でも作るのかと思っていたら、広場を横断する道路をつくったのだ」という話だった。日本人は「法律」とは規制でしかない嫌な存在と考えているが、本来は「人々が幸せに暮らすためのルール」であり、国民の自由意思を最大限に尊重する制度なのだと恩師は教えてくれたのだった。現在施行されている法律もすべてが正しいわけではなく、実際にこれまで非嫡出子や同性婚など 1000 件以上の「違憲判決」が出ているのである。

作家で司法書士でもある河合保弘先生は、法律には歴史があり、海外には違う制度がある。
我が国の現代的な法律は、明治時代に出来た制度に過ぎないといい、「相続」の問題に切り込んでくる。「人が死んだら相続」と誰もが思い込んでいるが、相続は単に法律で決められたルールの一つに過ぎない。現在の相続制度は、「汚いゼニカネの争い」となっているが、「平等」「公平」の意味を間違って解釈しているからだ。親孝行者と親不孝者が同じ権利を持っているのは、亡くなった人の意思を全く無視しており、平等でも公平でもない。「相続」はそもそも仏教用語であり本来の意味は、如何にして自ら生きてきた意味を後世に伝えるかがテーマであって、財産の問題がメインではない。明治時代に出来た民法が、「相続」を「財産(カネ)の問題」にしてしまったというのだ。

とはいえ明治民法は家督相続で財産は「家」のものだったが、現行民法で法定相続となり財産は「法定相続人」のものになっているのである。
これが現代の「田分け」問題だと河合先生は言う。

「田分け」とは、一つの田(不動産)を複数の者に分けてしまうことで、権利が分散縮小し、かつ、無用な争いの原因となり、さらに何代かの間に実質的に消滅してしまう問題をいう。今でも愚かな行為を「タワケ」というのはこの名残である。

奈良時代までの律令制では全ての土地は天皇に帰属するとされていた。その後豪族の圧力におされ土地の所有権を一部認めるようになる。鎌倉時代、二度にわたる元寇を本土で迎え撃ち撃退した鎌倉武士に対して、報償として所領を細かく分けて与えたのが「田分け」の始まりと言われている。
それが何代も経過し個々の武家の力をそぐ結果となり、幕府自体が滅亡してしまう。

鎌倉幕府を滅ぼした後醍醐天皇は、「田分け」の制度を廃止し、改めて領地の分配を行っている。江戸時代以降、土地は「国有」で武家は「家督相続」、庶民の間では「専用使用権」「百姓株」などが相続や取引の対象となり、「書残(かきのこし)」という遺言のような慣習が普及していた。

明治民法では、特定の家督相続人以外の者が財産を相続することは前提とされておらず、かつ隠居制度が存在し、生前相続が認められていた。
「相続税」は明治 38 年日露戦争の戦費を捻出するために制定されたが、税率は 1.2%(家督相続以外は 2 割加算)と低率であり、生前相続が通常だった。

昭和 22 年アメリカ主導のもとに現行民法が施工される。「財閥解体」や「農地解放」というニーズから、家督相続を含む「家制度」が廃止され、「個人財産制」に移行したにもかかわらず、遺留分制度を残存させてしまい法定相続人制度の下、税率アップと贈与税の新設と相俟って「富の分散」が図られ「田分け」が復活されることになったのである。

しかし「日本国憲法」では財産は所有者ものとする個人財産主義を掲げており、河合先生は「国民の財産に国家は口出しすべきでない」と「相続」を本来の姿に戻すべきだと主張している。

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