1960年代以降、英国では「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれる社会保障制度が確立されていく。一方、経済停滞の中で基幹産業の国有化等の産業保護政策により、英国民は依存体質となり、勤労意欲を低下させ、既得権益にしがみつく。全国の炭鉱で無期限ストライキが始まり、労働党が選挙に勝利して賃上げを認めたため、さらに経済と社会の停滞を招くいわゆる“英国病”といわれる症状がまん延していく。
70年代後半になると賃上げを求めてストが頻発。医者や看護師のストで病院は機能せず、給食婦のストで学校は休校し、ゴミ収集人のストでゴミは回収されず、墓掘り人のストで死者は埋葬されず、運転手のストで暖房用灯油が配達されないといった現象が次々におこったが、政府は有効な対策を打ち出せなかった。
このような状況の中、1979年サッチャーが首相に就任した。サッチャーは福祉国家政策を放棄して個人に自助努力を促し、規制緩和、歳出削減、国有企業の民営化、労働組合の活動規制などを実行していく。所得税と法人税を大幅に引き下げる一方、付加価値税(消費税)は8%から15%に引き上げられた。改革には当然のことながら“痛み”が伴った。深刻な不況を招き、失業率は二桁を越えた。それでもサッチャーはひるまなかった。「これ以外に方法はない」
と改革を続行し、失墜した英国を再建していく。
1982年には南大西洋上に位置する英国領のフォークランド諸島にアルゼンチン軍が侵略する“フォークランド紛争”が勃発。開戦に反対する閣僚達に向かいサッチャーは、「この内閣には男は1人しかいないのですか!」とたしなめ、強硬に艦隊、爆撃機を派遣してアルゼンチン軍を放逐する。
しかし、3度目の総選挙も勝ち抜いたサッチャーだったが、怖いものなしで提唱した“人頭税”が国民から強い反発を受け、欧州統合に懐疑的な姿勢を示して財界からも懸念が表明され、腹心の謀反もあって保守党内での深刻な分裂を招き、1990年英国首相、保守党党首を辞任する。
先日、映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』を観てきた。映画は認知症に苦しむ中、過去の栄光と挫折を思い返し、完璧な妻でも母でもなかったかもしれないが、家庭よりも社会や政治を選ぶ自分を肯定し、病みそして老いていく人間としてのサッチャーを描いている。
アカデミー賞を受賞した主演女優もさることながら、私はこの映画で、階級制度が色濃く残る男社会の議会の中で、中流下層階級出の女性であるサッチャーの強烈なリーダーシップやブレない信念やユーモアなど、心打たれる場面を満喫したのだった。サッチャーは言う。
「言ってほしいことがあれば男に頼みなさい。やってほしいことがあれば女に頼みなさい。」