前回の『八甲田山死の彷徨』に学ぶ➀は「課題の捉え方」として目的の「達成水準」を明確に把握し、組織に徹底させることが重要であるという話をした。雪中行軍に失敗した神田大尉はおそらく厳寒積雪の八甲田山踏破の目的を把握していたとは思うが、上官である山田少佐は「未知の世界を開拓するのが今度の軍事目的、地図と磁石によって雪の中を行軍する」ことを主張して、徳島大尉の助言に従い地元の案内人を立てようとしていた神田大尉を「徳島大尉に引き摺られることなく独自の計画を建てればよい」と一蹴している。
明治の時代に、士族出身でない神田大尉がここまで昇進したということは並大抵の才能や努力ではなかった。彼は、与えられた仕事に全力を傾倒してかかった。独断専行は特に慎んだ。権限外のことは必ず上官の耳に入れるよう心掛けた。自分は平民出身の将校であることを常に心の中に持続していた。同僚はもとより、下級の士官に対しても彼は決して憎まれるようなことはしなかった。上官に対しても言っても無駄なことは言わない方が良いのだ。彼の処世術でもあった。
一方、徳島大尉は計画の概要説明の前に、連隊長児島大佐、大隊長門間少佐に対し、きわめて危険度が高いとして、旅団や師団批判とも取られかねない計画の取り止めを主張している。苦労人であり軍人生活の長い児島大佐は、こういう時は言いたいだけ言わせた方がいいことを知っていた。
静かに諭すように「遠慮するな。思った通り言って見るのだ」と徳島大尉を促す。「すべてをおまかせ願いたいのです。雪中行軍指揮官のこの徳島にすべて任せて頂かないかぎり、雪地獄には勝てません」
計画書を読んでいた児島大佐は驚きのあまり声を発した。「これはどういうことだ」
人数こそ小隊編成とはいえ、下士官20 名、兵卒5 名と兵卒の人数が極端に少ない。しかも参加者の条件が➀本人の希望による、➁人選は雪中行軍の指揮官である徳島があたる、➂身長5 尺3 寸以上と書いてあった。「いろいろ考えましたが、下士官を主力においたのは研究に主眼点を置いたものであること、自ら軍人を望んだ者ならば、いざというとき、国民に申し訳が立つと思ったからであります」
「組織とは、目的を達成するために、構成員を効果的かつ効率的に協働させるための手段である」とはアーネスト・ディールの言葉であるが、組織運営の為にはいくつかの原則がある。
<命令一元化の原則>
指示を出す上司は一人だけという原則である。神田隊では山田少佐の指示で雪中行軍を中隊規模で実施することになるが、山田少佐が指揮権を持つ大隊本部が随行することになり、指揮権が混乱する。
<専門家の原則>
いわゆる分業化により組織目的を効果的に達成する。徳島隊で各人に研究課題を与えてあった。神田隊では山田少佐が指揮を直接取り始め雪中行軍そのものが目的となり、分業化は見られない。
<権限・責任一致の原則>
職務に相応して権限と責任が等量に与えられる。部下には責任を全うする義務と同時に、失敗が容認される権限がある。神田隊では役割分担が不明瞭になり、撤退の機会を逸する。
<統制範囲の原則>
管理できる部下の人数には限界がある。神田隊の210名の中隊編成には無理があった。
「八甲田山死の彷徨」のポイントは徳島大尉が自ら正しいと思ったことを上官に対してもハッキリと伝えたのに対して、神田大尉は言っても無駄だと伝えきれなかったことだ。組織を活性化するには、何でも言い合える風土が重要だ。