再び“ 知覧”(2026年_4月号)

所員の研修旅行を17 年ぶりに再び特攻の町“知覧” に決めた。17 年前、戦闘機を背に出撃を前にした若者たちの屈託のない笑顔の写真をみて衝撃を受けた。たった一つしかない「命」を、たった一度しかない「人生」を20 歳前後で散らしてしまうというのに、彼らの崇高なまでの笑顔は一体何なのだ。「俺たちが死んで日本を守る」という。
国を思い、家族を思い、誇りを胸に飛び立った彼らの心に去来したものは何だったのだろうかという命題を解き明かしたく、所員の研修旅行を前に山近義幸氏の「知覧研修」に参加してきた。

山近氏の「知覧研修」は特攻隊員の遺書を読んだり、特攻隊の母と慕われた鳥濱トメさんの宿に宿泊したり、戦跡を巡り歴史に触れながら五感で学ぶ体験型研修だ。その中で「命の尊厳」「家族や仲間への感謝」「自分の生き方を見つめなおす」「歴史の本質に触れる」など自分の心と向き合う時間を中心とした、累計8000 名にのぼる人たちが参加し高い評価を得ているプログラムだ。

歴史を学ぶことは、「今どう生きるのか」を考えることだという。平和とは何か、命とは何か、自分の使命とは何か、と心に迫ってくる。

硫黄島玉砕に際し、市丸利之助海軍中将がルーズベルト宛に書いた遺書がある。書簡は原本と英訳した2 通があり、それぞれを将校に持たせて突撃させ、その遺体から米軍が書簡を発見し、アメリカで新聞に掲載されたとされる。要点は以下の通りだ。
・日本は望んで戦争を始めたのではなく、列強の圧迫に追い詰められた。(油も食料も封鎖された)
・白人が世界を独占し、有色人種を支配している。
・日本の戦争目的は「アジア解放」であり、世界平和に資するものだ。

特攻隊員たちも、日本民族がまさに滅びんとするときに身をもってこれを防ごうとしたのだと思う。家族や祖国、そして未来を守るために戦うという運命から逃げずに自分の役割を考え行動したのだろう。そして、米軍の本土上陸を遅らせ、子供たちが疎開する時間を稼ぎ、米軍に本土上陸の困難さを思い知らせたのだろう。敗戦を経て日本が今でも存在するのは奇跡かもしれないのだ。

戦後、特攻隊に対しては諸外国から様々な論評がある。しかし、英国のジャーナリストであるリチャード・オネール氏が言うように「特攻隊は、敗戦に際して民族の誇りを失うことなく、戦後日本の偉大なる復興の原動力になった」との見方もある。

1945 年9 月27 日、終戦から1 ケ月半後に昭和天皇がマッカーサーを訪問した際の写真は象徴的だ。
天皇陛下は正式礼装で直立不動の姿勢、緊張した様子だ。対するマッカーサーは開襟シャツで手にはパイプ、もう一方の手はポケットに入れリラックスしている。マッカーサーは天皇陛下が命乞いに来たのだろうと思っていたという。
しかし、マッカーサー回想録によればその後の会談で昭和天皇は「戦争の責任はすべて私にある。国民を救うためには、どのような処分も受ける覚悟で来た。国民の生活を守るため、連合国の援助をお願いしたい」と述べる。マッカーサーは天皇の「責任を一身に負う」という姿勢に強く感銘を受け、会見後、予定を変えて玄関まで見送ったという。
以後、マッカーサーは天皇の地位の維持に大きく傾くことになる。

天皇の「自分の命に代えても国民を守る」という姿勢は、命を懸けて故郷や日本の未来を守るという自分の役目、自分の使命を達観し、超越した特攻隊員の崇高な笑顔に繋がっているのではないかと思うのである。

今回の山近氏の「知覧研修」を受け、「命とは何か」、「自分の使命とは何か」を考えさせられた。
残り少なくなった命を一日一日無駄にせず、必要と思うことに精一杯羽ばたかせようと思う。そして、関わった人たちに感謝し、自分の専門分野で社会の発展のために貢献しようと思う。

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