向井千秋 宇宙飛行士(2024年_2月号)

アジア人初の女性宇宙飛行士である向井千秋さんの対談記事を読んだ。向井さんは慶応大学医学部を卒業、心臓血管外科医として慶応大学医学部に勤務後、33 歳の時に宇宙飛行士に選ばれ、42歳の時にスペースシャトル「コロンビア号」に、46 歳の時にスペースシャトル「ディスカバリー号」に搭乗して 2度の宇宙飛行を経験した。

向井さんは医学部時代を振り返り、学生時代はスキー部でスキーしかやっていなかったと述懐しているが、3年生の時に出合った解剖の実習が特に印象に残っているという。「ご遺体を解剖させていただいて思ったことは、草花でも何でも、生きているもの、命があるものは美しいんだということです。特に顔の解剖で顔の皮を剝いでしまったご遺体が並んでいるのを見ると、生きているときは美男美女であってもみな同じに見えたのです。
美しさとは何だろう。結局は、誰であっても、生きて、目を輝かせて、何かをしていれば、それで美しいのだと。解剖実習以降、自分の内面の中で築いた内面から出てくるその人らしさが大事なんだと思えるようになりました。」

向井さんはまた、病院で最期を迎える方、病院で生まれて外の世界を知らず命を終える子どもたち、そして自分と同世代の人たちが夢を果たす途中で亡くなられることに対して運命の理不尽さに心の底から悩んだという。そして「つらく、苦しく、どちらに進めばいいのか選択すらできず悩むことがあります。そんなとき進路の選択に悩むことさえ許されず、この世を去っていった人たちがいることを思い出します。もし自分が夢の実現に遭遇することを選択できるのなら、その選択を許されなかった人たちのためにも、失敗を恐れずに、夢に向かって新たな世界に挑戦し続けるべきです。
自分の選択で人生を歩んでいけることの有難さを多くの患者さんから学びました」と述べ若者に対して挑戦することを鼓舞するのだった。

向井さんは「人生は自分の選択で歩んでいける」「希望に胸膨らませ苦難を乗り越えて歩んでいくと、その先に続く新たな道のりが見えてくるものです」という。1つ1つ着実に、諦めずに進んでいくと希望に続く新たな道が見えてくるというのだ。小学 4 年生で医者を目指した時も「自分より勉強ができる人はたくさんいるけど、医者になって患者さんを助けたいという、その一つの思いだけは絶対に負けない」という思いがあった。勉強も人ができることだったら、自分は 3 倍時間をかければ必ずできるという思いでやっていたという。
エジソンは「天才は 1%のひらめきと 99%の努力」という言葉を残しているが、「私、能力がないから」と初めから諦めずに「行こう」と思うことが大事だというのだ。

向井さんは、病気で苦しむ人たちの役に立ちたい、だから医者になりたいという夢から、地球の健康を守るという立場に自分を発展させていくことになる。宇宙飛行士たちは誰もが宇宙から自分の故郷をいとおしく見つめるのだという。向井さんも宇宙から地球、日本、群馬県の舘林を見つめ、そこに住む父や母、きょうだい、友人、そして郷土の美しさを思い出していたという。「私たちの故郷地球は、われわれが考えているほど大きくはありません。地球生命圏は強靭ではなく、地球資源も有限です。」

「今、ウクライナもガザの問題も、世界がすごく分断されていて、国連が機能しない状況になっている。結局、国のエゴでやっているからです」
向井さんは国という枠組みを超えて、無国籍の人で地球を考える組織を作らない限り国連なども機能しないのではと考えている。国境とか、年齢とか、国籍といったものを外して、皆で共有する、分かち合う、独占しないということが大切だという。
地球は思っているほど大きくないし、温暖化は急速に進んでおり、危機的状況だと心配している。

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