客を切れ(2020年_12月号)

 

公認会計士の試験に合格して監査法人に勤め始めて間もなく、株式上場を目指す創業7年、社長39歳、売上高140億円、利益17億円という住宅建築業の会社の担当になった。その会社は利益率の高さから全国的にも注目を集めていたのだが、入社式ではご両親に席に座ってもらい新入社員達は周りに立つといった独特の企業風土を持つ規律の厳しい会社だった。コンピューターがまだ普及していない時代に試算表は翌月1日に提出、社長が考案した個別原価計算システムの一環として工事予算を超える支出は一切認めないということを厳格に守り、高収益を実現していた。

その会社の支店監査の為にいくつかの支店にお伺いしたのだが、奥まった支店長の席の後ろの壁には社長直筆の「客を切れ」という垂れ幕が掲げてあった。当時、私の父は山形で社員30名ほどの鋳物会社を経営していたのだが、仕事は無い、金は無い、人は辞めるの三重苦のなかで中小企業経営の悲哀を味わっており、私自身もこの「客を切れ」という言葉には衝撃を受けた。

自分の住宅を持つということは誰にとっても夢だ。担当者が、ご主人が帰ってくる夜分にお伺いすると、場所はどこがいい、どんな間取りにする、洋室がいいか、和室にするかと話に花が咲くことになる。ひとつひとつ話を進めていくことになるが、重要なのは資金調達だ。

自己資金が幾ら、銀行ローンは幾らまで借りられるか、親族からの援助は、勤務先からの支援制度は無いか等々を吟味するのだが、どうしても資金繰りがつかないお客様もいる。しかし、お客様は自分の住宅を持つという夢に取りつかれ、来る日も来る日も住宅会社の担当者を離さないのだ。「客を切れ」そうしなければ有望なお客様の相手をする時間が無くなるという訳である。

私の経験では、長く赤字に陥っていた会社が黒字転換するときは減収増益となる。つまり、得意先別の損益計算をすると必ずといっていいくらいその会社の最大の顧客の損益は赤字だ。とはいえその会社向けの単価を上げようとすれば「他社に転注する」と突いてくる。それでも「結構です」とその会社からの注文を断らなければ、赤字からの脱却は出来ない。その結果、減収増益となるのである。

私の父の会社は、不採算の最大の顧客を切った結果、現在、実質無借金、経常利益率10数%の優良企業となることが出来た。勿論、経営はこんな単純なものではない。

「客を切る」といっても短期間で切れば固定費をカバーできない。無くなった仕事をカバーするだけの営業力も必要だ。そもそも高い仕事の質を持っていなければ誰も相手にしてくれない。

何よりも良い社員に恵まれるためには経営者の社員に対する絶対的な愛情が必要だ。

 

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