1959 年の創業以来、京セラは順調に発展を重ねてきたが、1966 年 IBM からの戦略商品の心臓部を構成するセラミック製基板の開発と量産の受注が、京セラを中小企業から中堅企業へと脱皮させる飛躍台となった。この基板の寸法精度は業界標準から 1 桁厳しく、さらに IBM の要求仕様書ではセラミック原料の含有率から比重、浸透性、吸水率、平行度、平面度、強度等様々な高いレベルの規格が求められていた。当時、それらの厳しい寸法精度や特性を試験する方法も装置も持ち合わせておらず京セラの技術水準をはるかに超える案件だった。
1 ケ月後に 34 歳にして社長に就任する稲盛氏にとっては千載一遇のチャンスであり迷うことなく受注し、すぐさま開発に着手した。しかし、開発は難航を極め、ようやく作り上げても納品後の自動検査機が通らないと色合いにまで注文がついた。
さらに苦心を重ね、製品開発を完了したが、次は総量 2,500 万個という膨大な数の量産が待っており、80 人 24 時間 3 交代制で月 100 万個を納品していく体制を組んで量産をスタートさせた。しかし、なかなか歩留まりが上がらず、何としても納期に間に合わせるために稲盛氏も工場の寮に泊まり込みで陣頭指揮をとっていた。
その頃の話だが、プレス担当の若い社員が深夜 2 時ごろ「今度こそは」と思い、焼き上がってきた製品を見るとやはり寸法が外れており、情けなく、後工程の担当者に申し訳ないと思わずむせび泣いていると、後ろから「神に祈ったのか」と声がした。語りかけたのは、生産の進捗が気になり深夜にもかかわらず工場を巡回していた稲盛氏だった。
当時、稲盛氏の机の上には「考えよ」というプレートが置いてあった。IBM 社のモットーが「THINK」であることから、その影響を受けたのかもしれない。「神に祈ったのか」とは神頼みをするということではない。「神に祈るしかないというくらいまで、物事を突き詰めて考えたのか」という意味だった。
若い社員はその言葉をかみしめ、改めて条件を見直し、工程の改善に努め 2,500 万個の納品を果たしたのだった。
あさひ会計の失敗談がある。山形では業界最大手の、ある企業の専務さんが「これまでの会計事務所を断ってきました。今後はあさひ会計にお願いしたい」と言ってこられたのだが、対応した担当者は顧客数に比べ所員数が足りず、お客様の割振りに日夜悩んでいたところに、さらにお客様の増加は受け入れられなかったのだろう、お断りしてしまったのだ。当時あさひ会計の所員は 80 ~90 名はおり、ちょっと知恵を絞れば、例えば全所員が 1%ずつ時間を短縮すれば何とでもなることだと思うのだが、「THINK」がなく、まして「神に祈る」こともなく、折角のお客様に大変申し訳ないことをしてしまったのだ。後日、私はその会社の社長様に謝罪に行ったのだが許してはもらえなかった。
これはまさしく、比ぶべくも無いのだが私と稲盛氏との差であり、私は所員に「考えよ」といったこともなく、まして「神に祈ったのか」とも問わず、教育もしてこなかった私の器の小ささの結果だったと反省している。それ以来、問題が起きるたびに現状の枠の中で物事を処理するのではなく、「考えよ」「知恵を絞れ」「道を作れ」と言い続けている。最近では先の担当者をはじめ所員も少しずつではあるが「考える」ようになってきている。
余談だが、大企業の幹部である同級生に「夜眠れないことはあるか」「その時はどうするのだ」と聞いたことがある。彼も様々な事件に巻き込まれたり、自分の失敗などから何度も苦しい思いをしたことがあったという。その時は眠れない床に就きながら「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、ナムアミダブツ……」と千回近く唱えるうちに眠っていたというのだ。経営者なら誰しもが持つ経験だろう。