2010年1月、JALは2兆3千億円という事業会社としては戦後最大の負債を抱え会社更生法の適用を申請し経営破綻した。44万人の株主の株券は紙くずとなり、金融機関は5,215 億円の債権放棄を余儀なくされたのだが、このあとJAL の再建を目指し誰をトップに据えるかが大きなテーマになった。
会長就任を打診された稲盛和夫氏は「航空業界のことは何もわかっていないし、高齢だから」と頑なに断り、周囲も「経験もなく、分野も違う、80 歳を前にして晩節を汚す」と猛反対だったのだが「稲盛さんしか再建できるリーダーはいません」という言葉に、稲盛氏は➀JALが2次破綻でもすれば日本経済に悪い影響を与える、➁残された3万2 千人のJAL 社員の雇用を守る必要がある、➂JAL が破綻し日本の大手航空会社が1 社になれば健全な競争がなくなるという3つの大義と逃げるわけにはいかないという義侠心から「100%専念出来るわけではないので、無給で」という条件を付け受諾する決心をしたのだった。
そして1 年後にJAL は1,800 億円という過去最高の営業利益を出し、2年後に2,000億円の営業利益を出して世界でもっとも高収益な航空会社となり、2012 年9 月に再上場を果たしたのである。再建のスピードがあまりにも早く、裏で何か特別な優遇措置があったのではとの疑いも出たほどだが、JALの内部では一体何が起きていたのだろうか。
JAL の会長に就任して1 年後に稲盛氏が日本記者クラブで行った講演の動画をYouTube で偶然見たのだが、稲盛氏はこの講演でJAL の一年間を振り返り、JAL への思いを語っている。
稲盛氏は2010年2月JALに着任。すぐに幹部社員と話を始めるのだが“JAL は倒産した” という意識が非常に希薄だったという。本来なら全てを失い路頭に迷っているはずなのに幹部にも社員にも危機感がなく「何としても再生する」という責任感、熱意、願望、強烈な使命感といったものが感じられなかったという。「倒産の原因はテクニックではなく意識の問題」とみた稲盛氏は、幹部社員に対し「倒産したんだ」という意識改革から始めることになる。
びっくりしたのは幹部社員の多くは、航空運輸事業は何よりも「安全が第一」と利益を出すことに罪悪感さえ感じていることだった。稲盛氏は利益を上げ健全な経営が出来なければ安全も雇用も守れないのだと企業経営の根幹を教え、幼稚に聞こえるかもしれないが「売上を最大にし、経費を最小にすれば利益が出る」、それしかないのだと利益追求に対するネガティブな考えを払拭していくのだった。
さらにリーダーは良し悪しを判断しなければならないが、損得で判断するのではなく、善悪で判断することが大事だ。善悪も自分にとってではなく、己を捨て、純粋な心を持って、人間として正しいのかどうかで判断してほしい。嘘をつくな、騙してはならない、といった小学校の先生や親が教えるようなベーシックな考え方を蔑ろにして、経営判断を誤る経営者が多いのだと話していくうちに、受講者の目の色が変わっていったという。それまで勉強会に約1,000 人が受講したが、稲盛氏の教えを各々が職場に持ち帰って伝え、JAL 全体の意識も大分変わってきたという。
月例の業績報告会では全ての部門の業績が説明され、各部門で無駄を省き、自信を持って利益管理ができるようになり改革が進んでいった。さらには路線別収益を把握できる採算制度へと発展していく。
また現場に出向いては、航空運輸業は「究極のサービス産業」だとし、CA にはお客様を心から大事に感謝とおもてなしの心を持って必死になって接遇してほしいと、パイロットには通り一遍の挨拶ではなく、全責任を持った機長としてお客様に心からの感謝と心情でスピーチをしてほしいと頼んだという。
JAL を再生した原動力は稲盛氏のひたむきな“思い” だったのだろう。その気高く強い思いがJAL の幹部の意識を変え、社員を変え、JAL 全体の意識を変え、再生を果たすことになったのだと思う。