羽黒山をたずねて~前編~(2014_8月号)

羽黒山をたずねて(2014_8月号)

総務部  柏倉 佑美

清々しい初夏の天気のもと、かねてより登拝したいと思っていた羽黒山へ赴きました。出羽三山神社への参拝と、現在一般公開されている三山の祖蜂子皇子(はちこのおうじ)の御尊像を拝観するためです。東日本大震災から三年の月日が経ち、これまでも三山では繰り返し慰霊行事が行われてきましたが、開山されたのと同じ午年の御縁年にあたる今年を節目に、あらためて復興への祈りを全国へと広めたいとの想いから、これまで秘中の秘とされてきた御尊像の公開に踏み切ったとのことです。

蜂子皇子が羽黒山に辿り着いた所以には諸説あり、そのひとつが由良の八乙女伝説です。父である崇峻天皇が蘇我馬子によって暗殺された崇峻五年の冬、蜂子皇子は聖徳太子の勧めにより難を逃れるため丹後国由良より密かに海へ出で北へと向かいました。当地の沖にさしかかった折、岩の上で八人の美しい乙女が笛の音に合わせ神楽を舞い手招きして皇子をこの地へ迎え入れたと言います。そこで三本足の烏に導かれ羽黒山へ入り、苦行の末羽黒大神の示現を拝し、次いで月山神、湯殿山神を感得し祀ったと言われています。

参詣道は随神門(ずいしんもん)から始まります。左右に鎮座するのは、剣と弓を持ち神域への悪霊の侵入を防ぐ門番の神々です。人の世界と山とを分かつこの門の向こうは、一面杉木立が生い茂り、より清冽さを増した山の気に神域へ踏み込んだのを肌で感じました。

出羽三山信仰の深部には、自然そのものを崇拝する山岳信仰が根付いています。かつて噴火を繰返していた怒れる山は、時の流れとともに草木に覆われ鳥や獣たちが住まう穏やかさを取り戻しました。その神秘的な姿が太古の人々に崇敬の念を抱かしめたのでしょう。その感情は山を前にした時、街に暮らす私達の中にも今なお沸き上がってきます。月山の豊富な雪解け水が人々の住む平野を潤し豊かな実りをもたらしたように、現代に生きる私達も自然の恩恵を受け暮らしていることをあらためて感じさせられます。(次号へ続く

羽黒山午歳御縁年記念事業
蜂子神社御開扉【蜂子皇子御尊像拝観】
期間:4月29日(火)~9月30日(火)

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