先日、山形市立病院済生館の敷地内にイザベラ・バードの顕彰碑が建立されたニュースがあった。大政奉還から10年あまり後にやってきたイギリス人探検家イザベラ・バードの『日本紀行(翻訳時岡敬子)』は、写実的記載とストレートな書きぶりが面白い。当時の日本の様子、風俗や暮らしが、事前知識の無い客観的目線で記載されており、明治初めの様子がわかりやすい。日本人作家の小説や風土資料とは違って、外国人の目線であることが新鮮である。
「現在遂行されつつある変革(西欧化)は、日本に雇用された外国人と欧米で数年学びそれぞれの能力に応じて選ばれた日本人との指揮下にある。政府は各部門で最も有能な補佐役を確保するためには手間も費用もおしんではおらず、(中略)彼らは助っ人としてのみ日本にいるのであり、実際の権限はなく、使用人であって主人ではないこと、彼らの人材養成の意欲と技量・手腕が大きければ大きいほどその仕事は早く終わり、部門の運営が次から次へと外国人の手から日本人の手に移っていくのを忘れてはならない。お雇い外国人を引き止めておくことは発展の計画にはない。」イザベラ・バードも乗った日本の鉄道は、明治3年の測量開始後、わずか2年で品川横浜間を開通させたものであるが、当時の機運をその記載から感じ取る事が出来る。
日本紀行の中で頻繁に登場する「貧相、小柄、O脚、洋服が似合わない、親切そうに見える」などの日本人に対する脚色しない表現がかえって紀行の正確さを感じさせる。イザベラ・バードは、横浜、東京、日光から新潟、その後、小国を超え、米沢へ。今の山形県の南から北上していき、湯沢、青森、函館と蝦夷まで行くのである。天候、不衛生、蚤虱、蚊といった害虫などの苦労とともに、貧相な日本人たちに何度も助けられ、また時に助けて、旅をしている。養蚕産業、裕福そうな家庭の結婚式の様子、何かと親切に対してお金を受け取らない人たち、やたらと赤ちゃんを背負っている子どもたち、ものすごい数の野次馬、数々の迷信と、それを信じる人々。
宿の亭主と従者の伊藤がピンハネの相談をしている話や、まがい物の洋酒を売る山形の店などの話も出てくるものの、総じて旅の中に登場する日本人はみな親切である。出発前にイギリス行使代理から言われた「女性一人でも安全に旅ができるであろう」という言葉が序章にある。そして道徳は低いとも何度か記載されている。
日本人の親切心や、外国人女性が一人で安全に旅を出来る世界を支えたものはなんであろう。紀行の中では鬼、地獄、お化けなどの迷信の話が何度か出てくる。親切心を支えたものは土着の迷信のように感じられる。