造船の町 呉(2020年_2月号)

 

「大船や 波あたたかに 鴎(かもめ)浮く」

 これは、日清戦争従軍記者当時の正岡子規が呉にて詠んだ句である。呉市は今も造船の町だ。
 先日、呉市の会計事務所を訪ね、その際、戦艦「大和」※1の巨大模型の展示で有名な呉市海事歴史科学館大和ミュージアムへ行った。ミュージアムの目の前では今も造船が行われており、ちょうど巨大タンカーが建造中で、通常の港では見ることのない大きさに驚かされた。

 呉市までは、広島駅から快速で30分ほどであるが、広島から間もなくの”坂”駅を過ぎると、左手は切り立った山が続き、平地がほぼなく右手の目の前は瀬戸内海であり、瀬戸内の良い景色は呉市に入るまで続く。呉は三方を山に囲まれている。一方の眼前の海は、江田島と倉橋島に囲まれており、海というよりは湖に見える。呉はおだやかな湖のある密閉室のような地形となっている。
 呉は、明治22年に開庁した鎮守府※2の一つであり、機密性の高い軍事拠点、外部から遮断された波の穏やかなその場所は、海軍工廠として最適な地形である。戦時下の呉を舞台にした漫画『この世界の片隅に』は、テレビドラマやアニメ映画化されたことで有名だが、呉海軍工廠とそこで暮らす主人公すずの日常を描いたもので、大和ミュージアムを訪問する方には必見の作品だ。
 造船を支えた技術者たちは、戦後、海軍解体により失職したが、造船のみならず、鉄道、製鋼、発電などの分野でも戦後復興を支えている。マツダ※3、ダイクレなど呉をルーツとする大企業も数多くある。

 訪ねた会計事務所のN先生に呉市内を案内頂いたのだが、その際、「ここは、仁義なき戦い※4、大和だけで説明が終わるんです。呉は何も無いんです。」と笑顔でいう。その言葉には、なぜか今も生きる呉の造船技術と呉の静かで平穏な日常の良さを感じてしまう。夜の繁華街で何度もいうN先生の「呉は何も無いんです。」はどこかうれしげだ。

 

※1 戦艦「大和」:約1.5トンの砲弾を毎分1.8発、42キロ先まで発射する主砲をもっていた当時の技術の結晶。大和製造時作られた工数管理システムは、戦後の造船にも活用され世界トップクラスの造船国になる基礎となった。
※2 鎮守府:日本海軍の防衛、近代化の拠点とされた機関。4つの拠点であり、他に佐世保、舞鶴、横須賀があった。呉の鎮守府は「くれちん」といわれた。
※3 マツダ:自動車メーカー「マツダ株式会社」の前身となる東洋工業の事実上の創業者、松田重次郎も呉工廠造船部の職工として働いた経験を持つ(マツダHPより)。
※4 仁義なき戦い:呉市が舞台の作品。

 

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