統括代表社員 田牧 大祐
アンコールワット近くのトンレサップ湖、首にニシキヘビをかけた子ども二人とその親が、小さなボートで、我々の乗っている高速遊覧船に乗り込みそうな勢いで横づけしてきた。観光客に写真を撮らせてチップをねだる。私は、写真も撮らず、チップもあげなかった。
シェムリアップ※1へ視察旅行であったが、支援と自立というテーマのもと、クッキー工場、サッカースタジアム、病院など、いくつかの施設を訪ねた。
日本人女性がオーナーを務めるクッキー工場は非常に衛生的で、多くの若い女性がマスク、キャップ、エプロンの3点セットに手袋をつけて、全て手作りでクッキーを作っている。機械を導入すれば、それは効率的で生産性が高まるが、あえて働く場を提供するために機械は入れないのだという。また、その向かいの建物には、工場で働く女性の子どもたちの保育園があり、そこでは預かっている時間に子どもたちに英語を教えている。親の就業と子どもの英語教育がセットなのである。
ローカルツアーコンダクターが言うには、小学校就学率が60%台、中学校も40%台と低く、親が学校へ行かせず仕事をさせるのだという。所得は日本の10分の1以下、月収は1万5千円から2万円と低所得の為、親は学校に行かせることよりも少しでも収入を、と子どもに労働させることを優先してしまっている。
教育制度の遅れは、1975年から始まるポルポト政権※2に起因する。国民の5分の1とも4分の1ともいわれる、官僚、教員、医師、僧侶など知識階級の大量虐殺、学校の破壊により、教育制度が断絶されてしまった。その結果、現在の大人は、親がいない、教育制度がない環境で成人している。教育の重要性に触れていないがゆえに、子どもへの教育を軽視する悪循環が起きているという。ツアーコンダクターは「子どもたちに学校に行ってほしいから、チップをあげないでほしい」というのである。
間もなく完成するサッカースタジアムでは、シェムリアップを本拠地とするソルティーロ・アンコールFC※3のGM辻井氏の話を聞いた。ソルティーロ・アンコールFCは、カンボジアの子どもたちに夢を与え、カンボジアのサッカーレベルの向上や、サッカーを通じた雇用で地域貢献するために立ち上げられたプロチームである。大手スポンサーによるチームではないため資金は少なく、海外の選手の獲得ではなく、ローカル選手の育成を目指すチーム作りをしている。農村部の若い選手を中心としたチームであり、また将来のプロサッカー選手の育成、地域貢献のため孤児院で週2回サッカー教室を開催するなど、地域に根差したチーム作りと運営をしている。将来の夢はカンボジア代表選手を出すことという。
アンコール・ジャパン・フレンドシップ病院は、カンボジア医療支援を続けてきた日本人医師により設立された、日本人スタッフが常駐する病院である。料金は、日本人を含む外国人向けとローカル向けの二重料金制度となっている。ローカルの患者が圧倒的に多いため基本的に赤字。観光や在住の外国人からの料金でこれを賄っているとのこと。
カンボジアの医療制度は遅れている。フランス植民地であったため、フランスの医療制度を持ってきおり、投薬量はフランス人仕様となっている。カンボジアでの治験はないため、体の小さなカンボジア人ではしばしば薬により具合を悪くするそうだ。また、MRIはカンボジア全土では首都プノンペンにしかなく、脳梗塞などの救急患者はプノンペンまで6時間かけて運ぶとのことだが、もちろん手遅れになる(ローカルはお金がかかるため運ばない)。日本人看護師に話を聞いたところ、ローカル看護師は夜勤時に来てすぐ寝るらしく、夜勤とは病院で寝る事と誤解しているそうで、看護師教育も必要なため苦労しているとのこと。カンボジアにおける未整備の医療制度の中、日常の奮闘を明るく語ってくれた。
今回、企画をしてくれたASPO(アジア会計人共同体)の藤永氏は、「日本人でカンボジアに学校建設をしてくれる人もいるが、建てて終わりで、数年で廃墟になってしまう。自立のための支援ではないため続かない」という。
今回出会った方々は、それぞれの立場で、カンボジアの人々とその未来に向けて地域に根付いて活躍しており、その共通点は自立の支援である。彼らの視線は、遠い未来を見据えながら、カンボジア人に夢を与え、今まさに実を結んでいる。
※1シャム(現在のタイ)を追い払った(リアップ)が地名となっている、アンコールワット、アンコールトムのある観光地。カンボジアは、アジアで経済発展の目覚ましいベトナムとタイに挟まれているが、アジアの中で経済発展が遅れている国の一つ。プノンペンのみ開発が進んでいる。
※2極端な農業主体の共産制の実現を目指し、政権樹立後、即、住民の市街地退去命令と知識人の虐殺を始めた。
※3カンボジア代表監督である本田圭佑氏がオーナーをつとめるカンボジアプロ1部リーグ。本田氏の星稜高校の2つ後輩である辻井氏が声をかけ、プロチームをシェムリアップで立ち上げた。ソルティーロ以外の1部チームはすべてプノンペンにある。