<
アイジー工業株式会社の創業者である石川尭名誉会長が亡くなられた。アイジー工業は、私が監査法人の勤務を終えて山形に帰ってきて間もないころ、政府系ベンチャーキャピタルの東京中小企業投資育成会社からの投資を受け入れて公認会計士の監査が必要となり、50代半ばの石川尭社長(当時)とお会いしたのが初めての出会いだった。
アイジー工業は、研究開発型で製造技術系のベンチャーが多く出現した第一次ベンチャーブームの頃に頭角を現した山形で最初のベンチャー企業だった。石川尭社長からは創業時の苦労話も多く伺った。まだ不良品が多発しているころ、資金繰りに困って不良品と分かりながらトラックで大手の得意先に製品を送り、自分は夜行列車でその会社の東京本社に向かい、製品が着いているはずだから手形が欲しいとお願いをして、先方の担当者が倉庫に製品が到着していることを確認して手形を発行してくれたが、後で大目玉を食らった、という具合だった。
初めてアイジー工業の決算書を見せてもらったとき、仕掛品が計上されていないことに監査人として不信を抱いたのだが、工場を見せて頂き驚いた。工場では、コイル鉄板を縦に切断しながら、ラインで成型し、断熱加工を施して連続焼成炉を通り抜ければ製品は完成しており、さらに、製品は自動的にダンボールで包装され、次から次へと工場の出口で待っているトラックで出荷されていく工程に仕掛品はなかった。
大学教授をお連れして石川社長にTQCの話をしていたら、突然、工場をストップさせ全員を集めて講演会に移行したこともある。監査でお伺いしている私を、石川社長は取締役会に参加させたり、ドライブに誘ったりすることもあった。そんななかで、「俺は臆病なんだ」とつぶやくこともあり、笑いながら幾つもの失敗談も話して頂いた。ある日、『成功者の告白』(神田昌典著)という小説風な経営書を持って来られ「俺と似ているんだよな」とおっしゃる。読んでみると失敗を重ねながら、様々な経営手法のアドバイスを受け、何とか会社を成功へと導くそんな内容だった。あさひ会計では、『成功者の告白』で紹介されていたクレドやクッシュ・ボールを取り入れて今でも毎朝の朝礼で実践している。
そんな石川社長に最後にびっくりさせられたのが、住友商事との資本提携であった。当時、M&Aという言葉はあったものの大企業や海外での話であって、好業績の地方の中小・中堅企業では思いも付かない手段だったが、何ゆえのM&Aだったかという話も伺った。
山形で初めてのベンチャー企業として会社を興し、山形では初めての好業績中堅企業のM&Aを実現した石川尭アイジー工業名誉会長に哀悼の意を表する次第である。